日々是憂日

日々是好日ー人生は好い日ばかりがつづいているかな?をちょっと逆転してみると見えてくる日々のことを綴る

アジア的文明・・・

谷崎潤一郎が「陰翳礼讃」のなかで

もしも日本が

その文明を世界的なものとして

発展させていたならば

いまの西洋文明とは

まったく違ったものとなったであろう

書いていますが

それは

「陰翳なき」西洋文明への

批評でありました。

トイレひとつ取っても

建築ひとつ取っても

もう少し「陰翳」に満ちた何かに

発展したであろうと

言うのです。

陰翳なき西洋文明ーー

今やその西洋の人たちが

日本に押し寄せてくるのは

もしかすると

自分たちには欠落している

「陰翳」を求めてのことでしようか。

な、わけない?

そ、そうでしたか、

アニメ、ゲーム、

それだけのために来る ?

それだけとは思いませんが・・・

例えば尺八のあの風に消えゆくような音は

まさしく陰翳に満ちたもので

これはどの民族もその初期には

素朴な楽器として持っている

「陰翳に満ちた」ものでありました。

文明とはある種

世界を支配する力であり

そうである以上

一種の「独裁」なのでしょうか・・・