日々是憂日

日々是好日ー人生は好い日ばかりがつづいているかな?をちょっと逆転してみると見えてくる日々のことを綴る

何に縋って

老人老女たちは

何に縋(スガ)って生きているんだろう

ある人は信仰、とそのグループ

ある人は趣味、とそのグループ

ある人はボランティア、とそのグループ

ある人は・・・

と、ここまで考えて自省する。

私、息子や孫に縋っているんじゃないかな、と。

あと何日で息子に会える、

何月何日は孫の入学式、

その日のあるために今日を意味あるもののごとく

生きているのではないかな。

そう、自省したのです。

ふだん、なにかの「グループ」に縋ることなく

「見かけだおしの孤高」みたいな生き方してるけど

結局はこどもたち、孫たちに

すがっているのではないかな。

じゃあどう生きるの。

わからなくなって

今日は庭の桜をデジカメで撮って

息子たちに写メしたら

息子たちからもすぐ返信

とっても短かったけれど。

一人は奥さんと子どもたちと奥さんのお母さんと

にこにこ笑った写真だった。

なんだか

自分がやっと

彼らに縋っていないと

思った。

なんだか、桜の下で

そんな気がした。