日々是憂日

日々是好日ー人生は好い日ばかりがつづいているかな?をちょっと逆転してみると見えてくる日々のことを綴る

2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧

「言論の自由」

老婆は日頃 ぼーっと暮らして おりますが ときどき 世の中の言葉の 矛盾に あれれ と 思うことが あるのです。 例えば 「言論の自由」 カッコつきです 最近 紙面を賑わしている 自民党の若手が 言ったことへの 処罰 ですが。 マスコミの「言論の自由」は 犯…

素朴な疑問

老婆がふだんから 疑問に思ってる ことが あって たぶん これをいうと 大方の人から 反撃喰らうの が わかってて 言い辛い のですけれど 実は 近くに ラドンのきつい 温泉が とても流行ってて 遠くからも 大勢 入りに来るのです。 ラドンって 放射能に 関係…

気持ちの悪い喫茶店

ある日老婆は とある喫茶店を 見つけたと 思って。 入ろうとしたら 店の入り口に 張り紙がーー 「泣きたい人は 泣きにきてください」 「話したい人は 話しにきてください」 「笑いたい人は 歌ってください」 とかなんとか。 わ、こりゃだめだ 老婆はあわてて…

快哉 天野教授

ノーベル賞 授賞式から 帰国してすぐの 天野教授ご夫妻に マスメディアが インタビュー 「教授、日本に帰られて 真っ先に食べたいものは?」 「インスタントラーメン」(だったと思う、あるいは それに近いもの) すると記者がすぐ こう問い返した 「奥さんの手…

老婆のレシピ

季節はずれの話題です 毎年 春になると 老婆のわたし 「野草の天ぷら」 の パーティを開きます。 ユキノシタ、ヨモギ さくらの花 カラスノエンドウ ヒズルグサ タンポポ、ニオイスミレ ミツバ、ハルジオン クコ、その他その他 とまあ 数え上げるのが 目的で…

多賀城

老婆がまだ 青春期にあった ころ 東北の旅を 続けていた ことがありました。 もう真っ暗に なった 列車の外 とまった駅の 名が 多賀城 でした。 「あ、多賀城!」 わたしはつい 大きな声を あげました。 わたしの前の 座席には 東北大学の 学生らしい 若者た…

長生きの恐怖

長生きして いえ しすぎて 生き恥晒して まで 生きるのは 辛い です。 そんなことが ないように 願うけれど もしも 100歳までも 生きていたら 息子や 孫の なかに 起こるかもしれない 悲しみを 見なくてはならない と 思っています。 が 先日 老妻をなくした…

ヒロシマ

老婆は 広島の人間では ありません が 広島の知人が 老婆に言いました、 「ヒロシマ」には うんざり。 マスコミも学校も ヘイワ、ヘイワの連呼。 ヒバクシャ、ヒバクシャ は、まるで英雄 原爆の悲惨を 語り伝えることが 使命というけれど いくら伝えても 「…

運命の同居

同居したくなくても せざるを得ないのは 運命としか 言いようが ないですね。 おヨメさんにとっても 姑にとっても 過酷な それはもう 運命としか 言いようがない と 思いますーー 例外は必ずありますがーー 昔 同居が当然だったころ おヨメさんも 姑も どん…

方程式はいらない

老婆には 難しいことでした、 人生の負の部分と 輝く幸せの ないまぜになった 自分の立場を 完全に Xの二次方程式か なんかで 太陽の光のように まるで陰のない 幸せの解を 見つけるべく そんな方程式を 考えても 考えても Xの 解答には 至らなかった ところ…

遠き宿

その昔 若かりし日 奈良は 博物館のそばに あの宿があった。 19歳のある年には 友人と二人 台所に 寝かせてもらったな。 あるときは ぎしぎしきしむ 二階の部屋で 男たち三人と 泊まったり したけれど 清潔なままで 夜を明かしたのは 当然のことのようだった…

遠き仏像

若かりし あの日見た 奈良は 法隆寺で ずらりと並んだ すぐ目の前に 国宝級の 仏像たちのなかに あのお姿が ありました。 ほっそりとして 直立不動の硬さは なくて どこか やわらかに 地上ではなく この世ならぬ 空間を 歩んでいらっしゃる ような 軽々と こ…

見たくない人

わたくしのような よぼよぼ 老婆が こんなことを いうのは なんですが とてもとても いやな人を テレビで 見かけます。 その番組は 好きなのに その女性が いるために いやなものを 見るはめになるのです。 あれほど 自己を見つめる こと少なく 客観的視野に…

人生の底で

もうそろそろ 底が見えてくる 気配。 さあ 棺のなかに 三冊だけ 愛読した本を 入れてもよいと したら 何を入れようか とか 最後にひとこと 言い遺してもいいと 言われたら なんと言おうか あの世にいって 真っ先に だれに会いたいかと 言わられたら だれにし…

そっくり

ママが ヒステリックに 叱りつけました。 宿題に 集中しない 二年生の娘に ついに堪忍袋の 緒が切れた そして娘は ママそのまま そっくりに 妹に向かって ヒステリックに 叫んでいます ママそのままです すると妹はまた 下の妹に 姉そっくりの 癇癪 爆発させ…

こさんじ

落語なんて なんの関心も ありませんでした ところが たった一本の ドキュメンタリーで 私 たちまち 今や 落語追っかけ しています。 浅草演芸ホール 新宿末広亭 上野鈴本 いいのホール その他その他 地方にも 出かけて 行く始末 その元は ただ一本の ドキュ…

京都ばなし(その5)

昔々の話です 京都は百万遍の 通りに面して 「琥珀」という 喫茶店がありました。 ある晩 夜を徹して ベートーベン交響曲 全曲通して やるということが ありました。 二階のその部屋は 学生たちでいっぱいで 私はすみっこにひっそり すわっておりました。 ベ…

静かなる寺

のめりこんだ 藤沢周平でした ついに 鶴岡から山形へ このたびは 山形師範に通っていた 周平の青春の息吹を 求めて 彼が下宿していた 寺を訪ねました。 ああ 静かなる寺は そのまま 周平の雰囲気でした。 正面のお寺のことも エッセイにあった通り 清冽な水…

この理不尽なるもの

老婆はほとほと 疲れましたよ 可愛い可愛い 孫二歳と四歳ですが およそ聞き分けというものが 通じない 公共乗りものだろうと おかまいなく 喧嘩おっぱじめたり 泣きだしたり ママがヒステリー起こすのも 無理ないことなのでした。 他人の子どもが こんなだと…

母系社会ですから

男の子を 授かったときから わたくし 覚悟を決めて おりました、 息子はいずれ 女性の側に 取り込まれて 母親のわたくしは とり残されて 孤独死するのが なりゆきだよと。 なぜなら日本は 母系社会ですから 娘は結婚しても 実家と結びついて 男はただ添え物…

明け渡す

突然 気がつきました 息子と彼女との ほんの十日ほどの 「同居」も 実は大変 なんだと。 その一番の原因は 「食」にありました。 料理上手な彼女のために 私が昼ご飯を 作るなんて そして ライフサイクルが真逆の 老婆と彼ら 「食」が一番の 関門だったと よ…

女偏の漢字

若いとき 女偏の漢字に やたら 反抗してました。 ろくな漢字が ないのですから。 女の方が悪くて 「妨げる」 女が三人で 「姦しい」ーー もっともほんとだから・・・ 女を男が両側から挟んで 「嬲る」・・・ 「妄」想を抱くのも 「女」ですか。 ほかにもいっ…

スベリヒユ

日本は とても豊かな国・・・ てはありません から。 いずれ 敗戦前後のあの頃の ような 飢えに苦しむ 日々がくる・・・ と 老婆は憂うる のでした。 そしてあのころ 夏になると 墓場や野辺に行き スベリヒユをバケツいっぱい 摘んで帰って それが晩ご飯に …

清里は清い里・・・

font size="5"> 老婆はそのむかし 長野県は小海線という 鉄道では日本一 高い所を走るという 列車に乗って 旅をしました。 途中に清里という 駅があって 見渡す限り 高原で 白樺が点々 人家はまったく見えず かなたに 清泉寮だけが ぽつんと 見えていた ので…

国家の崩壊

ある国は もはや 国家とも言えない 国になってしまった ようです。 崩壊した国家と 言うのだそうです。 老婆が最近読んだ本は 明治天皇すりかえ を論破できないくらい 緻密に論じたものでした。 老婆の読後感は・・・ すりかえでも全然 かまいません 今、「…

自然回帰派と平和憲法の怪

八ヶ岳の ふもとに 旅をしました。 何人かの 不思議な人に 会いました。 有機農法 無農薬 田舎暮らし 地域通貨 なんだかこれらが 一体となって ある雰囲気を かもしだしているのです。 彼らの信条は共通して 「憲法九条絶対」で 「平和」という言葉の信者で …

同居はやっぱり無理

息子の 彼女は妖精のような すてきな人 お料理上手 お片付け上手 無口でしとやか 知的でかわいい でもでも・・・ それとこれとは別 なのでした。 善人とか悪人とか まったく 関係なく 同居はやっぱり 無理なのでした。 目の前にいる相手は 肉親であっても 疎…

しょんべん横町

新宿の 西口の 小さな横町は 昔は しょんべん横町と 呼ばれていました。 いまは・・・ おやおや 「思い出横町」ですって? ひとは ここに入って いっぱい飲んで 隣りの見知らぬ客と 大いに笑い合って 管巻いて 漫才やって それで・・・ いったん 横町を出たら…