日々是憂日

日々是好日ー人生は好い日ばかりがつづいているかな?をちょっと逆転してみると見えてくる日々のことを綴る

あるひきこもり

老婆の知り合いで

20代から46歳の今日まで

ひきこもっている

男がいます。

彼の父親は

大学の教師で

息子が土地の

進学校

入れず

専門学校に

行っているとき

「授業料はドブに捨てるようなもんだ」

と言うのを

息子は聞いてしまった

のです。

息子は

自分自身が

ドブに捨てられたと

感じても

不思議では

ないでしょう。

それ以来

彼は

暴力とひきこもりを

繰り返し

自分の人生に

立ち戻ることが

できないで

いるのです。

これは

一つの例だけれど

ひきこもりという

精神のありようへの

ある方程式

ではないでしようか。

つまり

親に存在そのものを

否定されたという・・・

子どもは

授かった

瞬間から

他者であり

そういう意味で

尊厳を

持って存在する

ものなのに・・・