日々是憂日

日々是好日ー人生は好い日ばかりがつづいているかな?をちょっと逆転してみると見えてくる日々のことを綴る

サザエさん

サザエさん東京物語」は

一種、凄絶なものなのでした。

串だんごと自称するほど

あるいは

三位一体にも似た

三姉妹



ずっと一緒に暮らして

三女で著者の洋子氏だけが

所帯を持ったとき

マスオさんが

串だんごの中へ入ってきた

二人の子供も同じ家で生まれた

サザエさんには

そんな家庭のひとこま

ひとこまが

書き込まれている

のだった

独身のマチ子は

妹の家庭を創作源の

一つとしていた

この物語が「凄絶」である理由は二つ

ひとつは

串だんごとまで自称して

生涯離れることなく

三姉妹が一人であるかのように

生きてゆくはずだった

のに

三女の洋子氏が突然

60歳になって

「自分の人生」

「単独者としての自分の生き方」

に目覚めてしまったこと

そして姉たちと死の時まで

絶縁状態であったこと

もう一つは

三姉妹の母上

この「明治の女傑」の典型ともいうべき

女傑の最後ーー

ある介護施設の悲惨ーー

ともあれ

三女は「同居の科学」に

目覚めてしまった

「同居」が科学的にじわりと

人間のありようを

照らし出す

その原理にーー

「同居」はひとを病ませる

そして

「同居の拒否」も同じなのだった

家庭というものの

笑いに満ちたあの「サザエさん」が

かくも「家庭」の非合理の上に

浮かんでいたとは

知らなかったのです