日々是憂日

日々是好日ー人生は好い日ばかりがつづいているかな?をちょっと逆転してみると見えてくる日々のことを綴る

洟を垂らした神

涙とともに

読んだ本に

吉野せい

「洟を垂らした神」



ありました。

惹かれるように

息子に頼んで

いわきの

水石山へ

行きました。

頂上からは

海が見え

晩年、吉野せいもまた

ここから

海を眺めたのだなあと

感慨深い

ものがありました。

頂上近くに

本を読んでいる

おじさんがいたので

「開拓村はどこですか」

と尋ねると

「吉野せいですか」と

あっちのほう、と

指差して

教えてくれました。

車では

あっという間に

吉野せいの家まで

行きました。

まわりは

もう開拓地ではなく

住宅地だったけれど

なんとなく

あの苦難の

時代をとどめていて

涙が・・・

そして

吉野せいの

お宅には

息子さんの一人が

今も健在で

いらっしゃったのです。

静かに話される

その途中

私はつい

泣いていました。

帰る途中の

小高い丘に

ずらりと並んでいたのは

仮設住宅

福島には

涙と

けれども

洟を垂らして

生き抜く

人々の

いや、神々の

強い意志が

秘められて

いるようでした。