日々是憂日

日々是好日ー人生は好い日ばかりがつづいているかな?をちょっと逆転してみると見えてくる日々のことを綴る

再び遠い記憶ー旧制高校生ー

はるかな昔のことです

当時は国鉄宮津線と言ってました

私は十二歳

兵庫県の豊岡から丹後神野まで

立ったままでいました

目の前の座席に

異様な風体の若者がうずくまって

いました。

弊衣破帽、といっても

今の人にはなんのことやら

わからないでしょうが

旧制高校の学生

ーーそれはもう超エリートーー

が、あえてぼろぼろな姿に

身をやつしている姿のこと。

その若者がじっと車窓にもたれて

うずくまっていたのです。

戦後すぐだったのに

彼は戦争に行かなかったのですね

というか

徴兵されずにすんだのでしょう

分厚い黒のよれよれのマント

さんざん破れた白線三本の帽子は

今の京大の前身かも。

何より私が打たれたのは

彼の深い深い沈黙の姿でした

あれ以来

私はあんなに深い沈黙の姿を

見たことはありません

ーーいえ、一度だけありましたね、

これは明日書きましょうーー

煙を吐き吐き列車は

県境を越え、

丹後は久美浜へ向かいます。

私が降りる駅に来ても

彼はなお窓辺にうずくまったまま

じっとしていました。

十二歳の私は

彼の姿とここで別れなければ

ならないのが

とても辛くて

ほんとはかれの最後の行き着く先まで

見届けたかったのでした。

もしかするとそれは

彼の降りる駅とか実家とか

そんなものではなくて

彼のいかにも孤独な瞑想の

姿の底にあるものが

見たかったのかもしれません。

今の若者たちの世界では

まず見当たらないであろう

戦後日本の

一人の若者の姿でした・・・