日々是憂日

日々是好日ー人生は好い日ばかりがつづいているかな?をちょっと逆転してみると見えてくる日々のことを綴る

死ぬということ

人はだれも死ぬのです

ただ、どんな死に方をするのか

考えました、

交通事故は悲惨なもの

自殺はもっと悲惨

でも身近な知人たちの例でいうと

今もパーキンソンで苦しんでいる

友だちは

徐々に重くなっていく症状と

格闘し、絶望的な想いに打ちひしがれます。

辛い日常を送るのです

私の場合

たとえ「抗がん剤治療」を

宣告されても

ーーそれは間もなく決定するか否か、なのですーー

この老齢ですから

治療は断りたいのです

ただ、人生に果たすべき責任は

ほとんど果たしたなあという

満足の想いを胸に

日々、ゆっくり衰えていくのでいいのです。

まあ、一人暮らしですから

息子たちは心配するでしょうし

ときには遠方から

駆けつけてくれるかもしれないけれど

介護保険料をこれまでずっと

支払い続けてきたのだから

そちらにお世話になりましょう。

日本はいい国ですーー

子育て、夫の見送り、職場での責任完う、などなど

責任を果たしたという

この安堵感のおかげで

ゆっくり死んでいくことにしましょう。

死は平等に与えられる神様ーー別に特定しませんーー

からの最後のご褒美。

煩悩よさようなら

愛する者たちよさようなら

お前たちは明日に生きているのだから

私の死の嘆きは時間と共に

必ず癒されます

それもかなり早いうちにね。

死をゆっくりと迎えられることは

ガンの特権なのかもしれません。