日々是憂日

日々是好日ー人生は好い日ばかりがつづいているかな?をちょっと逆転してみると見えてくる日々のことを綴る

花と人生

老婆の小さな小さな花壇では

もう色々の花が枯れ果てて

いこうとしています。

あれだけ美しかった花たちも

枯れかけると哀しい姿・・・

まさに老婆でございます。

これらの姿をじっと見ていると

まさに我が身を見ているような・・・

林芙美子は「花の命は短くて

苦しきことのみ多かりき」と

詠みましたが

わが人生、喜びもありました。

しかしこの枯れ果ててゆく中に

人生の真理を感じますね。

花は静かにあるがままに季節に

身を委ねています。

そのように老婆も

季節を迎え入れればいいのですね。

一本の花になれば怖いことはない

ですね。

しかも花壇の隅っこでは

はや芽吹く牡丹と芍薬

そして花たちは種を蓄えていくのですね。

自分は枯れ果てながら

未来につながっているのですね。

子供を持つということは

自分の未来への希望の種をまくってことかしら。

自分のお腹を痛めた子でなくとも

それはいいんじゃない?

欧米の人がよくさまざまな人種の子を

養子として引き取り

わが子同様に可愛がる姿を見かけますが

あれですよ。

子どもそのものが「未来」なんですもの

その未来を身近に感じながら

生きてゆく幸せってのも

あるのですね。

「花の命は短くて

希望の種を抱きけり。」