日々是憂日

日々是好日ー人生は好い日ばかりがつづいているかな?をちょっと逆転してみると見えてくる日々のことを綴る

巣立ち

コウノトリの巣立ちの映像を見ました。

一羽だけ少し遅れて

なかなか飛べないのですが

でも最後に巣を飛び立ったのでした。

これを見ていて思いました、

鳥で最後まで巣立ちできずに

巣に引きこもっているなんて

ありえないなあ・・・と。

人間だけが引きこもることができるのかしら。

鳥が巣立ちしなかったら

待っているのは死ですよね。

人間の場合は肉体は死なないけれど

心は死にます・・・

そしてなぜ人間は巣立ちできないヒトがいるのだろうと。

老婆の知っている例では

「親のネグレクト」でしたが

それ以外にも理由はあるのでしょうか。

なにしろ「自己肯定感」がなければ

巣立ちは難しいのでしょう

そしてそれを培うのが「家庭」というものでしょう。

兄弟姉妹を親が比較して優劣をつけたり

するとこれはもうネグレクトそのものですね、

しかしそんな目にあっても

巣立ちできる子とできない子がいるのは

なぜでしょうかね。

そこには「両親のどちらかの救い」が

あるのではないかなと思います。

両親ともに子を否定してしまったら

もう救いはないような・・・

あるいは「斜めの関係」にあるだれか

先輩、先生、叔父叔母、友人が

これらを補ってあまりあるという

存在があれば救われるかも。

そういう存在は昔は

必ずといっていいほどあったのではないかしら。

だから昔の子供は

100%と言っていいほど

みんな巣立ちできたのではないかな?