日々是憂日

日々是好日ー人生は好い日ばかりがつづいているかな?をちょっと逆転してみると見えてくる日々のことを綴る

上田敏って・・・

老婆の世代には

ヴェルレーヌの詩は

上田敏の訳で

「乙女」たちが

くちずさんだものでした。

次に有名な「落葉」(秋の日)の

訳を書きますが

「」に入った言葉は

40代の人に

まったく通じず

ちんぷんかんぷんだと

笑いました。

では・・・

秋の日の 「ヴィオロン」の

ため息の 身にしみて

「ひたぶるに」 「うら」がなし

鐘の音に 「胸ふたぎ」

「色かえて」 涙ぐむ

過ぎしの 思い出や

「げに」われは 「うらぶれて」

そこかしこ 「さだめなく」

飛び「ちらふ」 落葉かな

という具合に上田敏

古典になって

いたのでした。

今の人が使っている

言葉の数々もいつか

古典になるでしょうね。

「万難を排して」なんかも

すでに辞書のいる時代

でございます。