イタリアのマンマ
イタリアではよく
「マンマーママーが一番」
と言ってるようですね。
ところでママのほうも
「子供達が私のすべてよ」
と言ってました。
しかし日本で
「子供が私のすべてよ」
と言うと
なんだかニュアンスが
違って
ただもう溺愛するか
お受験に必死になるか
就職先にまで出かけて
息子のデスクの掃除をするとか
東大紛争のときに安田講堂に
閉じこもったわが子にキャラメルを
差し入れにいった
「キャラメルママ」とかを
連想してしまいます。
何かが違うようです
が
何がどう違うのか
だれか教えて。
イタリアのおおらかなマンマは
「子供たちが私のすべて」と
言いながら
なぜか
自分という背筋ーアイデンティティーを
失っていないで
みっともなく生きているように
見えるのは
なぜでしょうか。