日々是憂日

日々是好日ー人生は好い日ばかりがつづいているかな?をちょっと逆転してみると見えてくる日々のことを綴る

キリスト教・・・

ある女性の葬儀に出席しました。

キリスト教の教会で。

義理で来た人はいなくて

教会はぎゅう詰めの人。

みな泣いて熱い空気が

会堂を満たしていました。

素晴らしい葬儀。

牧師さんの言葉もとてもよかった。

メメントモリーー

死を思え。

ただ・・・

私、根性悪いのかも。

牧師さんの言葉のなかに

多分、聖書の言葉だろうと思うのですが

「何々を得させてください」

というのが実は耳について・・・

「得させてください」とは

まるで翻訳文です。

こんな日本語は土着としてはあり得ない

文化人インテリなら

こんな表現でもすんなり

心に沁みるのかもしれないけれど

私なんぞはこんな言葉にひっかかってしまうのでした。

仏教のお経も神道祝詞

意味がよくわからず

ただ「唱えてもらっているだけ」で

ありがたいと民衆は受け入れてきました、

しかし「キリスト教」の言葉は

なまじわかります。

だから厄介なんです。

私みたいなのが

「え?得させてくださいなんておかしな言い回しだ」

などと感じちゃうので・・・

キリスト教が日本ではごくわずかな

割合というのが

なんとなく理由がわかったような。

そしてもともと砂漠の宗教で

絶対的な「汝」に支えられなければ

生きて行けない一神教に対して

森林の宗教である仏教と神道

「唱えてもらうだけでありがたい」

宗教として土着していきました。

さて、この私は

既成宗教のどれにも属していない

風来坊で

お葬式は数人の家族、友人三人くらい

で簡単な思い出を語ってもらって

あと、「赤とんぼ」の歌で

野辺の送りをしてもらえたら

幸せです。