日々是憂日

日々是好日ー人生は好い日ばかりがつづいているかな?をちょっと逆転してみると見えてくる日々のことを綴る

きれぎれの記憶ー大阪空襲ー

そのころ京都は下鴨神社のすぐそば

神社から流れる川沿いの

蓼倉町に住んでいて

ある晩

見たのです。

大阪の空が真っ赤に燃えて

飛行機が落ちてゆく姿を

私たち姉妹と母は

ーー父はジャワにいましたーー

二階のベランダから

じっと見つめていました。

大阪の燃え上がる真っ赤な空を。

ああ、飛行機が落ちてゆく・・・

あの夜の光景は

まぶたに焼き付いていて

あれが13歳の私の「戦争の風景」

だったのだと思います。

ところが問題はその翌日のこと。

朝、窓の外が見えないのです

窓の外は何やら黄色い空気に

びっしり塞がれていて

どんよりとした液体の中に

いるような感じです。

母は驚いて近所に出かけて

情報を集めてきました。

「昨夜の大阪空襲の余波」で

そのときの爆弾やら何やらの

異臭に満ちた空気が京都盆地

流れ込んだのだと。

真っ赤な空と真っ黄色な空気。

私の中ではただの記憶ですが

シリアや中東では今もそれが

「現実」で

子供達はそのなかに

今も

生きているのですね・・・