日々是憂日

日々是好日ー人生は好い日ばかりがつづいているかな?をちょっと逆転してみると見えてくる日々のことを綴る

生き生きしてるとき

ひとが生き生きしているときって

どんなときかなと

思いました

先進国ではなく

むしろ貧しい国の子供たちが

映像で見るかぎり

なんだかとても

生き生きしているように見えます

子供はいつも生き生きしてるって?

なことはないでしょう。

そこで老人老女ですが

ロボットとおしゃべりして

やっぱり生き生きするのでしょうかねぇ。

いやもう

人間レベルの知能を持った

ロボットがあるのですと

言われても

「人間」ではないのでしょう?

近所の老人でも

通学の世話をしている人と

1日家にじっとしている老人がいます

二人の表情はまるで違います

やはり旗持って子供たちに

「いってらっしゃい」と笑っている老人は

生き生きしていますね、

かたやもう一人の老人と言ったら・・・

というわけで

ロボットよりは人間

なかでも子供

じゃないかと思います。

孫でなくても

子供!

ただ通学の旗振りだけでなく

もっと老人と子供が交流できたら

互いに生き生きできるのでは。

たとえば学校の帰りに

ちょっと立ち寄る近所の老人の

家があって

そこに数人の老人老女がいて

ちょっとした宿題を見てあげたり

昔の遊びを教えたり

そんな時間と場所が

日本じゅうどこにでも

出現したら

みんな生き生きできない

かなあ

と思いました。