日々是憂日

日々是好日ー人生は好い日ばかりがつづいているかな?をちょっと逆転してみると見えてくる日々のことを綴る

続く田舎暮らしの問題

因習に縛られた田舎に入って暮らす

難しさは都会の人には想像もつかない

ものがあるようです。

それはたぶん大昔からの

「結ーゆい」とか「講ーこう」とか

呼ばれてきた固い結束の歴史のせいでしょうか。

これは冠婚葬祭その他で助け合ってきたという

分かち難い集団で

この中に組み入れてもらうなんて

まず不可能かも。

そして一旦組み入れてもらったとしても

その人がよほどの好人物かさもなければ

よほど貢献できるか

でなければ

苦しいことになりそうです。

たとえば「消防団」に率先加入して

働きを見せるとかすれば

少しはましでしょうが

消防団に消極的ならたちまち村八分

まあ、お年よりの女性なら相当額の寄付をすれば

まあまあ暮らしやすくなるかもしれない

といった具合です。

そんな息苦しいことなんかなくて

田舎暮らしを満喫し

ゴミ出しも問題ないという人は

よほど恵まれた人と言わざるを得ませんね。

そのうち集落の「結」も「講」も希薄になってゆくでしょう

すると都会から来た人たちとの間の垣根も

どんどん低くなってゆくかもしれません。