日々是憂日

日々是好日ー人生は好い日ばかりがつづいているかな?をちょっと逆転してみると見えてくる日々のことを綴る

回覧板!

地方に行くと

町内の回覧板というものがあって

そりゃ大事に回されているらしい

のですが

私の知人は

そこに引っかかる情報はほとんどない

まったく読まずに隣へ回す

それがめんどくさいのよと

言ってますが

他の知人曰く

それは大変いけないことだと言います。

みんなこの回覧板の情報を胸に畳んで暮している

のだから

無視するとはなにごとか。

とね。

一方の知人は

班長にならされて

旅に出ようとしたら

代わりのだれかを指名しろと言う。

めんどくさくて旅もやめたらしい。

日本人はこの「町内会」の「回覧板」を

心の中の蜘蛛の巣みたいに張り回して

規律ただしく暮しているのでしょうか・・・

こんな社会に

野放図で自由な「外人」がどっと

日本に生活者として押し寄せてくる

のですよね。

30万人・・・

彼らが回覧板を回す姿なんて

想像できないですね・・・

回覧板って何なんでしよう・・・

 

 

切迫の夢

よく夢を見ます

当たり前かもしれないけれど。

けれども

よくよく考えてみれば

たいていが「切迫の夢」

なのです。

トイレに行きたいのに

どのトイレも汚すぎて入れない

とか

違う駅で降りてしまって

そこから先の行きようが

まったくもってわからなくなったとか

ある人を罵倒しているとか

ありえない夢で

しかも

いずれも「切迫」しているのです。

他の人は

楽園でのんびりしている夢を

見るのでしょうか。

この年になっても

夢は切迫していて

そのくせ

昼間はのほほーん

なんですが・・・

生きている限り

こんなにも夢は

悲しいものなのでしょうか。

生きたあとは

あの澄み切った秋の空に行けるのだと

信じてほっとしている

老婆でございます。

 

子育てとスマホ

スマホスマホスマホーー

高校生の数人と

エレベーターの中で一緒になったら

彼女たち

全員スマホに見入っていて

一言の会話もいたしません。

こんなのはもう

当たり前になって

それがどしたん?

不審な顔されるだけですね。

あるお母さんが

小さな子を横にして一心に

スマホに見入ってて

まったく子供との対話もないという

風景もまた

当たり前になって

それがどしたん?

と開きなおられそうです。

ああ、スマホスマホーー

人間を支配しきったかのスマホ

今、存在しているのは

人ではなくスマホか・・・

スマホという怪物に喰われてしまった

人間か。

不思議なのは

難民と言われる人たちも

過酷な状況の中で

ちゃーんとスマホ持ってるってこと。

不思議・・・

どこに支払いするのかな。

もしかすると

一大財閥家みたいな人が

「難民」を作り上げて

スマホの面倒も見てるのかな

あらぬ想像もしてしまいます。

それくらい

スマホは地球を覆ってしまいました。

でも

時代は進みますから

昔、家族みんなでテレビの前に座っている

写真を見たことがあるけれど

同じように

「昔、みんなスマホに夢中だったね」

なんて

少し笑われる話になる時が

きっと来るのでしょうね。

それにしても

お母さんの横にちょこんと座ってる

小さな子供よ

あなたのお母さんは

いつスマホから顔をあげて

あなたとお話ししてくれるのでしょうね。

 

 

曲げぬ人たち

日産のトップという

外国の人が逮捕されました

その写真とか

その後のニュース見ていて

思いましたね

彼は

あるいは彼らといってもいい

あの種族の人たちは

決して自分が悪いことをした

なんて

認めないだろうなと。

「自白」が起訴の理由なら

絶対

起訴はできないだろうなと

思いましたね。

なぜなら

あの種族には

そんな匂いがぷんぷん。

その生き方で彼ら

砂漠の民は生き抜いてきたのかも。

それとも

日本がはじめっから

なめられっぱなしなのかも。

森と水の島国で

単一民族(今までのところ)で

みんなが心の中に

自ずからなる

規範を持って生きて来たような

彼らからすればノーテンキな

国なんぞ

ちょいとひと吹きで消し飛ぶと

思っているのでしょう。

その通りかも。

あの強靭な砂漠の民の論理に

日本の司法がどれだけ

ある種の「野蛮性」というか

力を持てるか

怪しいものだとは思うけれど

今後のこともあるから

がんばって、と

言いたい老婆でございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鼻が高い

日本での感想ーー

支配層の人は昔から

鼻が高い

いえ、威張ってるという意味ではなく

実際に鼻が何センチも高いという意味で・・・

平泉の藤原氏のミイラのからの復元を見たとき

鼻が高かったし

細川の殿様の末である

元総理の細川氏も鼻が高い。

鼻ぺちゃの支配者って

あまり想像できない・・・

よく、自慢したりする比喩に

「鼻が高い」って言いますね。

なぜ?

となると

世界では

白人種と

アラビア系やトルコあたりの人たちは

鼻がともかく高い

そしてアジアの人たちは

鼻ぺちゃと作られた

風土がどのように関係したかは

知りませんが

極東日本・鼻ぺちゃの国にあってなお

支配層は鼻が高かった

のはなぜ?

どうでもいい疑問に時々襲われるのでしたーー

 

京都の異常

ほんのちょっと昔の京都を

知っている人や

老婆のように昔

京都で青春を過ごした人たちから見て

今の京都は異常です。

と思っていたら

案の定

市民生活に大きな影響が出始めている

のは当たり前でしょう。

ある雨の朝、

清水坂一帯を

中国人のバス旅行客がぞろぞろと

埋め尽くしているのを見て

ほんとに愕然としました。

雨の中、しかも早朝・・・

京都駅からはろくにバスにも乗れません。

学生たちが静かに歩いていた

古(いにしえ)の京都はいずこ?

どうか

百万遍

吉田神社の麓のあたりだけは

昔通りに静かな

アカデミックな地域のままで

あってほしいですね。

ノーベル賞を受けるであろう研究者たちの

領域にまで

どうか

観光バスで彼らがぺちゃくちゃしゃべりながら

押し寄せたりしませんようにーー

 

 

 

 

 

 

 

産む性

女性は「産む性」なんです、

産むと「育てる」とは切り離せません

と老婆は思っています。

がーー

切り離せると思う女性や

「育てる」は別物だと

主張する女性もいて

昔のように単純に

「産む」すなわち「育てる」と

同一視されなくなりまして・・・

育てる、ということが段々軽視されてきて

勤めがあって育てられないし

育てるという権利は不要ということで

「女性の社会進出」が

普通になってきつつあると

いうのが

今の日本の姿だと言った男がいて

ちょっと違うと思いましたね。

女性の社会進出なんて

日本はたいそうな後進国です。

「長」と名のつく場に

女性はほとんどいません。

テープカットや地鎮祭に並ぶのは

地方のお偉方の男達ですし

国会議員をごらんなさいな。

つまり

女性は「産む」性を自ら放棄しつつも

なお

「社会進出」のはるか後方にいるのです。

本当にいい国っていうのは

女性が「産む」と「育てる」を受け入れてなお

真の意味で「社会進出」できる国のことですね。

北欧はまずまず、

それに近いのでしょう・・・

 

 

 

報道の自由

明けても暮れても

食べ物のことばかり

だれかが何かをぱくついては

「おいしい!」と

のけぞってみせる・・・

こういうテレビ番組が

一週間にいくつあるか

統計とってみた人いませんか?

テレビでも見てみようかと

ちょいとくつろいだときに

テレビつけると

「おいしい!」 「うめぇ!」

とやってます。

テレビには「報道の自由」がありますから

タレントが何か食べてる番組を

延々と流す自由もあれば

逆に「報道しない自由」もあって

新疆ウイグルで今

何が行われているか

尖閣にどれほど侵入されているか

安倍総理が世界の首脳の集まる席で

重きをなしていることとか

まして

沖縄の辺野古移転に

賛成の住民もいるとかは

一切

報道しませんね。

NHKも同じですから

始末におえない。

NHKにはいい番組もあって

日曜美術館」などは

素晴らしい

のに・・・

ネットのニュースに触れないで

新聞、テレビという

古典的な情報に頼っている

高齢者たちは

まだ日本は先進国トップだ

なんて

まさか思ってはいないでしょうね。

先進国グループの中の

後進国になってるなんて

知らないのでしょうね。

まして

ウイグルという民族が

消し去られようとしているなんて

知るわけないですね・・・

小役人

小役人という言葉が

ぴったりーー

市職員とか

教育委員会とか

ではなくて

小役人ーー

ある大学のフランス語教授に

今度市にフランス人の講演がある

よって

通訳のボランティアしてくれないか

電話してきたり

ーーがんとして断ったら七万円出すことにーー

出せるものを惜しんで

ボランテイァを押し付けてきたり

あるミュージシャンに

こんど新しい学校を作るが

校歌を頼みたい

ほかにだれもおらんので・・・

なんて失礼な頼み方。

あなただからこそ頼みたい

ではなくて

ほかにだれもおらんので

とは

あまりにも失礼な。

もちろん、断ったらしい。

こういうのが

「小役人」です。

礼を知らず

上から目線でいい気になって

その実

周りから

軽視されてるのにも

気がつかない

という役人に「小」の字をつけた

面白いですね

日本語は・・・

お花畑

いやあ、うまいもんですねぇ

何がって

命名の妙です

ある種の人たちを名付けたのですが

うまい!

隣国とのいざこざは「話し合い」でいこう

と主張することができたり

九条があるから日本には

どの国も侵略しません

と(本気がどうかわからないけど)

信じていたり

そんな種類の人たちのこと

私なら無様に「のーてんき」と

名付けてしまいそうなのに

「お花畑」なんて

優雅な名前を奉るのですから

たいしたものです。

何がどうなればこんな

のーてんきな思考ができるのか

わかりませんが

ともかく

「頭のなかにお花畑がある」

って

うまい!!

 

 

 

 

 

 

 

大阪の女性

いやぁ、まいりましたねぇ、

何がって

大阪の女性の凄さ・・・

お金のことは平気で人前で

口にするし

公衆の前でも平気で

大きな口を開けて

がっはっはっと笑うし

二人一緒のときなんか

そまま吉本の芸人かと思う。

いやぁ

凄すぎて何も言えない。

これが商都大阪なんですねぇ。

気取りも遠慮もない

暖かく愉快で

大阪のよさはここにあるのですねぇ。

他の街の人には真似できない

この飾らぬ素のままの人柄は

もう無形文化財ですね。

こんなおばちゃんたちも

日本社会の目に見えぬ

蜘蛛の巣みたいな

「掟」のなかで暮らしているのでしょうか・・・

 

 

 

 

 

ロボットに癒される・・・

寂しさを癒してくれるのは

もはや

人間でも風景でも

芸術でもなく

ロボットなのでしょうか。

あらかじめインプットされた企画のなかで

ロボットは対応しますが

無機的な発音や仕草が

それでも人を慰めるとしたら

現代人はよほど枯渇していたのですね。

ロボットは涙を流さないし

肌が冷たい・・・

それでも癒されるのですかねぇ。

それぞれの個性のなかで

私らは慰められたり

叱られたり

愛したりしながら

生きているのに

それでもあなたはロボットに「癒される」

のですねぇ・・・

 

日本が舐められる

日産のことでも

徴用工裁判でも

慰安婦でも

尖閣でも

竹島でも

老婆はつくづく思いますねぇ

日本は舐められてるんだなぁと。

そしてそうなってもおかしくはない

事態を招いたのが

ほかならぬ日本そのもの

というか

日本の歴代総理ですから。

NHKも同じ穴の中にいますね。

昨日も

沖縄辺野古移転の報道で

反対の人だけ報道する。

賛成の人だっているのに

それは無視して煽っています。

村山、宮澤、河野(鳩山はなかったことにしましょう(笑))

代々の総理がぺこぺこ

卑屈な外交してきたばっかりに

今そのつけがきて

ぼったくりが始まっています。

そして安倍総理

いくら頑張っても

島は返ってこないと

日本人はなんて諦めが早いこと。

そのためのデモもなければ

みなさん

スマホに夢中で・・・・

舐められっぱなしでも

気がつかないのは

地下鉄で目の前に赤ちゃん抱いた

女性が立っても

スマホ見てて気がつかないか

見ても見ぬふりするかして

いる光景にそっくり・・・

のぞき見

向かいのおじいさん

 95歳

うちのPはじいさんのいつもいる

縁側のすぐ目の前

出入りのたびにおじいさんは

カーテンを細めにあけてこちらを

のぞき見るのです。

見つかりそうになったら

さっとカーテンを閉めるのだけれど

間に合いません。

この日々の行為が私の怒りの頂点で

危うく爆発しそうになりました。

乗り込んでいって

「やめてください」と

怒鳴ってやりたかったのです

が・・・

親しい友人に打ち明けると

なんと

彼女もまったく同じ

ご近所トラブルがあるのでした。

でも彼女はおおらかな人柄。

そりゃなにをどうしたって

止むことはないわよ

1日じゅう縁側で過ごす老人は

カーテンをあけるしか

ほかに何もないのよ

などなど

私は彼女の言葉によってではなく

彼女のおおらかな

人柄によって

このトラブルーーといっても私の一人相撲ーー

からやっと脱出できそうです。

じいさんがいくらカーテンからのぞいていようと

堂々と目の前の草引きだの

掃除をしよう。

それまではどうにも

背中に視線を受けながらやるのが

いやでいやで

たまらなかったのだけれど

そうだ

見せつけてやる!!

 

 

 

 

 

 

 

 

雑巾と布巾

Chinaの人はホテルで

従業員がコップを拭いた布でトイレを拭く

という

素晴らしいyoutube

よく話題になりますが

これは今に始まったことではない

ようですね。

谷崎潤一郎がすでに

書いていますよ。

昭和五年

Chinaを旅した谷崎が

シナでは汚いものを拭いた布で

箸やテープルを拭くのはかなわない

とーー

そして

雑巾と布巾の区別がないと。

そういう文化!もしくは風習が

昔からあったのですね。

今更驚くことではないかもしれません。

しかし

これは日本人には解せない風習です。

困った、困った、

一流ホテルでもそれをやってる

証拠のyoutubeもありまして・・・

けれども当人は

これが不潔とも衛生上危険とも

思ってなくて

別に悪気はないのでしょうから

「風習」というものは恐ろしい。

省みてわが国にも

他国から見て

えーっ、汚い!と

思われる風習があるかもしれませんね。

風習ですから

本人は気づきようがありませぬ・・・