歪んで行く歴史
日本だって他人事ではない
けれど
歴史の教科書が
悲惨なことになっている国。
事実を教えない
どころか
あったことを
なかったことにする。
これをすべての国民が
納得して真実と思わされたまま
大人になっていって
やがて彼ら以下の世代すべて
「本当にあったこと」は
消し去られて
どんどん自国の歴史が歪められていく。
日本だって
戦前は「歴史」と「神代」を
一緒くたにしてましたね。
そして「近代日本の誕生」まで
授業が行き着かずに終わる。
しかも「歴史」とはただの「暗記もの」
に落ちてしまった。
某国の歴史教科書を嗤う前に
自分たちもそうだったと
気がつかなきゃ・・・・
これぞノーテンキ
驚きましたねぇ
なにかって
田嶋 Y子氏の発言には
卒倒せんばかりに
驚きました、
K国は民族的にいつも
日本に対して優越感をもっているのは
よく知られた話。
そして今回の照射事件でも
絶対の「上から目線」で
詫びを入れろとかなんとか
そして挙げ句の果てに
「日本はもっと謙虚になれ」と
仰天の教訓をたれる始末。
それに対して
田嶋氏がなんと言ったと思います?
「M大統領の言う通り日本はもっと謙虚であるべき」
と
間違いなく言いました。
仰天 !!
あなたはあちらの外交官ですか ?
と尋ねたい。
こんな日本人がうようよいるから
日本は舐められるし
頼みとするアメリカだって
知らぬ顔を決め込んでます。
ああ、これが日本のインテリの顔か・・・
コンビニのあの雑誌
コンビニに行くたび
あの雑誌が堂々と道に向かって
表紙を見せている
異様な
恥ずかしい風景。
日本ってなんて国だ ?!
と思っていたのは
なにも外国人だけでは
なかったはず。
あんなことが堂々とまかり通っていたなんて。
法律も成人雑誌の好きな
官僚役人政治家たちが作ったのかも。
と
コンビニに行くたび
不快な思いをしていましたが
やっと
やっと
販売中止。
やれやれ
遅いよ。
それにしても
法律改正って
牛の歩みより遅いのですね。
だから今もどんどん
日本の土地が
C国人に買われて
侵食が激しくなっていくのです。
この法律がある限り
日本は削られていくのですね。
コンビニにならって
いまからでも
重い腰を上げてくださいな。
湊かなえ「望郷」
湊かなえ「望郷」を
読みました。
ご高齢の女性が
この本はどうしても定着しません
と
言われましたが、
土地勘がばっちりある私としては
興味のある短編ばかり。
そして
なんだか作者が本当に
学校時代いじめに遭ってたのではないか
と思えるほど
テーマはいじめが占め
そこからの解放。
暴力や窃盗が大人であれば犯罪なのに
子供同士だと
「いじめ」という
平板なひらがなに置き換えられてしまう
という指摘は
鋭い。
因島という島のことだけれど
ポルノグラフティが出ている。
短編には
この島出身で人気歌手になった
と仮託された主人公の悲しくも
静かな解放の物語が・・・
この短編集
リアリティにおいて面白い
と思うのだけれど
やっぱり高齢者には無理なのかなあ。
そんなことないと思う。
読み手の心のありようで
年齢は関係ないよね。
濹東綺譚探索
永井荷風ーー
文壇のアウトサイダー
その小説「濹東綺譚」の
舞台に行ってきました。
ある小説を読んで
その舞台になった場所に
ともかく行ってみたいと
思わせるものには
なかなか出会えないのですが
「濹東」は是非とも
というわけで
作家同様
まるでさすらうように
行きました
が
もちろん
戦災にもあってますし
あの法律も昭和33年にできたのですから
面影はほとんどないのですが
それでも
「人」がいました!
文庫本を持って
交番の若いおまわりさんに
尋ねていると
おじさんが寄ってきて
おまわりさんを指して
「この人は何も知らんよ
ついておいで」とーー
それから
その人が
途中であった友達のおじさんと二人で
こまかく教えてくれてーー
あの蚊が湧く溝なんてとっくにないけれど
「人」がいて
熱く語ってくれたことが
最大の収穫だったと思いました。
地球市民
所属する自治体の回覧板
ーーやれやれーー
を覗いてみると
「地球市民ステージ云々」ってあるのでした。
なんのことですかね
地球市民って。
どこの国にそんな市民がいるのですか。
みんな
どこかの「国家」に所属した
どこかの市の市民です。
難民は別として。
ええ、
だから
難民は一種の地球市民とも言えるかも。
「地球市民」という言葉に酔ってる人
案外いるのですよね。
「言葉」に酔っている。
実態はなくてただの
信仰みたいなもので
そんな言葉によっかかって
生きていられる人は
なんてノーテンキ、いや
なーんて幸せなんでしょう。
日本という国家の
周辺で何が起こっているか
まったく関心がないのでしょうね。
西宮の街
西宮の街に
降り立った瞬間
なんて明るい街なんだって
いつも思うのです。
ていうか
明るいと言うより
明るすぎるので
つまりは
「陰影のない街」って
感じてしまうのでした。
ところが
かの谷崎潤一郎は
「陰影礼賛」の中で
陰影のある街の一つとして
西宮を挙げているので
びっくり。
戦前はそうだったのかなあ。
でも
あのあたりの地面は
もともと
なんとかって
とても「明るい」のではなかった ?
まあ、どうでもいい話でしたが・・・・
ならば東京はどうか。
思うに東京こそは
陰影の街ですね。
うそ、と思う方は一度
あの賑やかで華麗な大通りから
一歩
路地に踏み込んでごらんなさいませ
よっくわかりますとも。
梶井基次郎の崖
大昔
梶井基次郎の「崖の上の感情」を読んだとき
崖という言葉によって
まさか
東京とは思わなかった10代の頃。
それが半世紀以上もたって
読書会で司会するとて
もう一度
きちんと読み直して
これが麻生・白金の
高級な地帯のことだと
認識しまして・・・
探検にいきました。
ありました。
植木坂。
様変わりはしているとはいうものの
梶井の下宿は
崖に直面していた「崖下」で
そのままの雰囲気の住宅が
ちゃんと残っていました!
飯倉通り、ロシア大使館も近い。
崖から下へ降りる草の生えた幅一メートル
あるかないかの
細い道を下りながら
かつての「梶井基次郎の下宿」の空気を
十分に味わってきました。
こんなことができるのも
読書会のおかげなんですね。
「読書会なんて・・・」
「読書は一人でするものでしょ」
と
突っ張っていましたが
なかなかどうしてーー