日々是憂日

日々是好日ー人生は好い日ばかりがつづいているかな?をちょっと逆転してみると見えてくる日々のことを綴る

朝の冷え込み対策

老婆には

朝、起きたての冷え込みは

そりゃ、こたえます。

そこで電気代をがんがん使っても

平気な階層の人は別にして

年金生活の乏しい暮らしの

老婆の発案はーー

枕元に分厚いダウンをおいておく、

起きたらすぐそれを着て

ーーこれはかなり効果ありますーー

かなり厚めのダウンですから。

そのまま台所に行き

前の晩に用意しておいた

小鍋に生姜を刻んだのと

水とハチミツを入れて

沸騰させます。

そこへ酒粕をいれて混ぜ

沸騰直前の熱いのを

ゆっくり飲むのです。

すると体がぽかぽかーー

これでひとまず落ち着いてから

パソコンに向かうのです。

あ、その前に

鍋に冷えたご飯の残りや

野菜を入れた鍋を

超とろ火で。

パソコン遊びがちょいと一段落

したころに

熱いおかゆに卵をかけて

ちょいと醤油もかけて

お腹に入れると

もうぽかぽか。

これで

真冬の朝の冷気に耐えられます・・・

もちろん、そのときには

そばに電気ストーブも置かなきゃね。

 

慰⚪️婦が食い物に?

あるニュースで

さもありなんと

納得ーー

慰⚪️婦の一人が

自分たちを応援してくれるという

「ていたいきょう」(あえてカナにしました)に

食い物にされてると

書き残した、いや告発したとか。

この人は故人なんですが

素朴な疑問が・・・

慰⚪️婦の人たちが全員

いつかは亡くなります、

すると彼女たちを表看板にして

日本をゆすっていたあの国は

つぎのネタを準備しなきゃね。

徴用工だって同じでしょう。

この二者はいずれもちゃんと

給料をもらっていたのですから

奴隷ではないものを

そして軍艦島などでは

彼らは日本人と「共に」それなりに

生活を彼らと共有していたと

本人が語っているのに

奴隷だったと

お偉方は強弁するのです。

早く普通の国家になってくださいね。

法が遵守される国。

なにより

国と国との協定・約束が守れる国に。

 

非日本・日本人

非日本・日本人ーー

こんな種類の日本人が

これからどんどん増えてゆくのでは。

あるテレビ番組を見ていて思いましたね。

反日・日本人なら今までに

そりゃあ大勢見てきましたよ、

ジャーナリスト、大学教授、弁護士、

日教組の先生方etc・・・

でもね、これは違うのです。

日本国籍を取りつつ

習近平大好きで尊敬してて

あくまでも自分は「中国人」と自称する人。

なんで日本国籍取ったかというと

ただ一つの理由ーー

外国に行きやすいから。

その便利さだけのために

「日本人」になったのです。

よその国で国籍を取ろうとすると

その国への一種

愛国心を問われるということらしいですね。

当たり前ではないかしら。

ただ便宜上

日本人になってて

いざとなれば

日本なんかどうなってもいいという

生粋の「中国人」が「日本人」なのです。

テレビで堂々と

日本人になったのは

ただ「便利だから」と発言してる。

そして精神は「母国にある」というわけです。

日本だからこその

あまーい懐です。

C国だったら逆に

こんな人、すぐさま

投獄でしょう。

でも、国籍を取ることが

まるでスーパーに買い物に行くくらい

簡単にできちゃうとすれば

今にこんな

非日本・日本人が

何十万と増えてごらんなさい

それで日本の未来は見えてしまうーー

のでした。

 

 

 

 

ある読書体験

新幹線の中で気楽に読もうか

佐藤愛子の「私の遺書」というのを

100円で買って

読み始めました・・・

東京を出て名古屋に着く頃には

もう気持ち悪くなって

捨てるつもりで

座席の前の網?に入れたままにしておいて

新大阪で降りようとしたら

隣にいたおばさんが

わざわざ

「忘れ物ですよ」と

持ってきてくれた・・・

「遺書」という言葉に引っかかって買った

のだけれど

全編

霊視とか先祖の供養とかお祓いとか

私が最も遠くて近づきたくない

世界のことがえんえんと

書かれていたので

気持ち悪くなったのです。

知人にそのことを話すと

なんてことだ

「私も少し見えるのよ」と来た。

世の中には

「見える人」と「見えない人」がいるらしい。

でもねえ

「見える人」は「見えない人」のことは

そっとしておいて。

こんな本を書いて「遺書」だなんて

知らずに買ってしまっちゃう人もいるので。

なんだか気持ち悪くなって

「お祓い」でもしてもらおうかしら(笑)

 

 

自伝を書く人

知人に

今度「自伝出すから読んで」

と言われましてーー

はあーー

その人は別に歴史に貢献して

平成の世を変えた、

というほどの、

つまり

坂本龍馬とか勝海舟とか

でなければ

白蓮とか(興味本意)

まあ

その人の自伝なら

ぜひとも世に出さねば

ならばわかるのですが・・・

確かに

社会の一隅を照らしたという

働きはした人です

ほとんどの人が

「社会の一隅を照らしつつ」生きていると

思えば

自伝を上申するほどのことは

と思うのですね。

このような人は自分の人生に

よほどの自信と誇りを持っているのでしようね。

そんなこと

恥ずかしくてできないよ

というのは

己を知って謙虚なる人だと思うのでした。

自己顕示欲の強い人でなければ

こんな恥ずかしいこと

できますか・・・

そんなことできるのは

その人が「関西人」だからじゃない?

東京の知人が申しましたが

ほんと? 

 

 

 

ある日の地下鉄風景

銀座線でのこと。

腰掛けて前の座席を見たら

ずらーつと

スマホスマホ、、、と

いつもながらお馴染みの風景。

と思っていたら

正面に掛けていたおばさんが

なにやら袋から厚めの本を取り出したので

これは近頃

滅多に見ない風景ではありますな

見ないふりして

そっと本を見てしまった

タイトルが見えて

ある宗教団体の本だった・・・

がーーーーっくり。

 

おばさんには無理なユニクロ

下着は大丈夫です

伸びますからね。

ところが

ジーンズときたら

全滅ーー

「おばさん」がはけるジーンズは

ないのでした。

だいたい

おばさんがジーンズはこうと思うのが

間違っていると言うのでしょう?

ですよね・・・

細い足と小さなお尻の

若い女性にのみ

はけるジーンズ。

でも

ユニクロに行くと

「おばさんたち」がぞろぞろ

いますがーー

あなたたち

あのジーンズはけるの?

と聞きたい。

あ、下着を買いに来たのね。

そっか、

あの店はもともと「下着屋さん」なのよね。

分別しましたが・・・

いまいち

釈然としないのですよね・・・

 

 

 

回覧板!

地方に行くと

町内の回覧板というものがあって

そりゃ大事に回されているらしい

のですが

私の知人は

そこに引っかかる情報はほとんどない

まったく読まずに隣へ回す

それがめんどくさいのよと

言ってますが

他の知人曰く

それは大変いけないことだと言います。

みんなこの回覧板の情報を胸に畳んで暮している

のだから

無視するとはなにごとか。

とね。

一方の知人は

班長にならされて

旅に出ようとしたら

代わりのだれかを指名しろと言う。

めんどくさくて旅もやめたらしい。

日本人はこの「町内会」の「回覧板」を

心の中の蜘蛛の巣みたいに張り回して

規律ただしく暮しているのでしょうか・・・

こんな社会に

野放図で自由な「外人」がどっと

日本に生活者として押し寄せてくる

のですよね。

30万人・・・

彼らが回覧板を回す姿なんて

想像できないですね・・・

回覧板って何なんでしよう・・・

 

 

切迫の夢

よく夢を見ます

当たり前かもしれないけれど。

けれども

よくよく考えてみれば

たいていが「切迫の夢」

なのです。

トイレに行きたいのに

どのトイレも汚すぎて入れない

とか

違う駅で降りてしまって

そこから先の行きようが

まったくもってわからなくなったとか

ある人を罵倒しているとか

ありえない夢で

しかも

いずれも「切迫」しているのです。

他の人は

楽園でのんびりしている夢を

見るのでしょうか。

この年になっても

夢は切迫していて

そのくせ

昼間はのほほーん

なんですが・・・

生きている限り

こんなにも夢は

悲しいものなのでしょうか。

生きたあとは

あの澄み切った秋の空に行けるのだと

信じてほっとしている

老婆でございます。

 

子育てとスマホ

スマホスマホスマホーー

高校生の数人と

エレベーターの中で一緒になったら

彼女たち

全員スマホに見入っていて

一言の会話もいたしません。

こんなのはもう

当たり前になって

それがどしたん?

不審な顔されるだけですね。

あるお母さんが

小さな子を横にして一心に

スマホに見入ってて

まったく子供との対話もないという

風景もまた

当たり前になって

それがどしたん?

と開きなおられそうです。

ああ、スマホスマホーー

人間を支配しきったかのスマホ

今、存在しているのは

人ではなくスマホか・・・

スマホという怪物に喰われてしまった

人間か。

不思議なのは

難民と言われる人たちも

過酷な状況の中で

ちゃーんとスマホ持ってるってこと。

不思議・・・

どこに支払いするのかな。

もしかすると

一大財閥家みたいな人が

「難民」を作り上げて

スマホの面倒も見てるのかな

あらぬ想像もしてしまいます。

それくらい

スマホは地球を覆ってしまいました。

でも

時代は進みますから

昔、家族みんなでテレビの前に座っている

写真を見たことがあるけれど

同じように

「昔、みんなスマホに夢中だったね」

なんて

少し笑われる話になる時が

きっと来るのでしょうね。

それにしても

お母さんの横にちょこんと座ってる

小さな子供よ

あなたのお母さんは

いつスマホから顔をあげて

あなたとお話ししてくれるのでしょうね。

 

 

曲げぬ人たち

日産のトップという

外国の人が逮捕されました

その写真とか

その後のニュース見ていて

思いましたね

彼は

あるいは彼らといってもいい

あの種族の人たちは

決して自分が悪いことをした

なんて

認めないだろうなと。

「自白」が起訴の理由なら

絶対

起訴はできないだろうなと

思いましたね。

なぜなら

あの種族には

そんな匂いがぷんぷん。

その生き方で彼ら

砂漠の民は生き抜いてきたのかも。

それとも

日本がはじめっから

なめられっぱなしなのかも。

森と水の島国で

単一民族(今までのところ)で

みんなが心の中に

自ずからなる

規範を持って生きて来たような

彼らからすればノーテンキな

国なんぞ

ちょいとひと吹きで消し飛ぶと

思っているのでしょう。

その通りかも。

あの強靭な砂漠の民の論理に

日本の司法がどれだけ

ある種の「野蛮性」というか

力を持てるか

怪しいものだとは思うけれど

今後のこともあるから

がんばって、と

言いたい老婆でございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鼻が高い

日本での感想ーー

支配層の人は昔から

鼻が高い

いえ、威張ってるという意味ではなく

実際に鼻が何センチも高いという意味で・・・

平泉の藤原氏のミイラのからの復元を見たとき

鼻が高かったし

細川の殿様の末である

元総理の細川氏も鼻が高い。

鼻ぺちゃの支配者って

あまり想像できない・・・

よく、自慢したりする比喩に

「鼻が高い」って言いますね。

なぜ?

となると

世界では

白人種と

アラビア系やトルコあたりの人たちは

鼻がともかく高い

そしてアジアの人たちは

鼻ぺちゃと作られた

風土がどのように関係したかは

知りませんが

極東日本・鼻ぺちゃの国にあってなお

支配層は鼻が高かった

のはなぜ?

どうでもいい疑問に時々襲われるのでしたーー

 

京都の異常

ほんのちょっと昔の京都を

知っている人や

老婆のように昔

京都で青春を過ごした人たちから見て

今の京都は異常です。

と思っていたら

案の定

市民生活に大きな影響が出始めている

のは当たり前でしょう。

ある雨の朝、

清水坂一帯を

中国人のバス旅行客がぞろぞろと

埋め尽くしているのを見て

ほんとに愕然としました。

雨の中、しかも早朝・・・

京都駅からはろくにバスにも乗れません。

学生たちが静かに歩いていた

古(いにしえ)の京都はいずこ?

どうか

百万遍

吉田神社の麓のあたりだけは

昔通りに静かな

アカデミックな地域のままで

あってほしいですね。

ノーベル賞を受けるであろう研究者たちの

領域にまで

どうか

観光バスで彼らがぺちゃくちゃしゃべりながら

押し寄せたりしませんようにーー

 

 

 

 

 

 

 

産む性

女性は「産む性」なんです、

産むと「育てる」とは切り離せません

と老婆は思っています。

がーー

切り離せると思う女性や

「育てる」は別物だと

主張する女性もいて

昔のように単純に

「産む」すなわち「育てる」と

同一視されなくなりまして・・・

育てる、ということが段々軽視されてきて

勤めがあって育てられないし

育てるという権利は不要ということで

「女性の社会進出」が

普通になってきつつあると

いうのが

今の日本の姿だと言った男がいて

ちょっと違うと思いましたね。

女性の社会進出なんて

日本はたいそうな後進国です。

「長」と名のつく場に

女性はほとんどいません。

テープカットや地鎮祭に並ぶのは

地方のお偉方の男達ですし

国会議員をごらんなさいな。

つまり

女性は「産む」性を自ら放棄しつつも

なお

「社会進出」のはるか後方にいるのです。

本当にいい国っていうのは

女性が「産む」と「育てる」を受け入れてなお

真の意味で「社会進出」できる国のことですね。

北欧はまずまず、

それに近いのでしょう・・・

 

 

 

報道の自由

明けても暮れても

食べ物のことばかり

だれかが何かをぱくついては

「おいしい!」と

のけぞってみせる・・・

こういうテレビ番組が

一週間にいくつあるか

統計とってみた人いませんか?

テレビでも見てみようかと

ちょいとくつろいだときに

テレビつけると

「おいしい!」 「うめぇ!」

とやってます。

テレビには「報道の自由」がありますから

タレントが何か食べてる番組を

延々と流す自由もあれば

逆に「報道しない自由」もあって

新疆ウイグルで今

何が行われているか

尖閣にどれほど侵入されているか

安倍総理が世界の首脳の集まる席で

重きをなしていることとか

まして

沖縄の辺野古移転に

賛成の住民もいるとかは

一切

報道しませんね。

NHKも同じですから

始末におえない。

NHKにはいい番組もあって

日曜美術館」などは

素晴らしい

のに・・・

ネットのニュースに触れないで

新聞、テレビという

古典的な情報に頼っている

高齢者たちは

まだ日本は先進国トップだ

なんて

まさか思ってはいないでしょうね。

先進国グループの中の

後進国になってるなんて

知らないのでしょうね。

まして

ウイグルという民族が

消し去られようとしているなんて

知るわけないですね・・・